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ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞にはぶったまげた。正直そういうのも有りなんだと思った。粋な計らいとも言える。確かにディランはすごい。確かに彼の詞は独特で反体制志向のプロテストソングであった。しかし私は詩の意味はそれほど吟味もしなく、どちらかというと曲が好きであった。好きな作品は好きな順に、1位ライク・ア・ローリングストーン 2位オール・アローン・ザ・ウォッチタワー 3位ジャスト・ライク・ア・ウーマン 4位アイ・ウォント・ユー 5位ラブ・マイナス・ゼロ こんな感じかな。オール・アローン・ザ・ウォッチタワーはジミ・ヘンドリックスがカバーしていて、これが一番素晴らしい。
彼は生ギター一本とハモニカでプロテストソングを奏でていたが、1965年ニューポート・フォークフェスティバルで突如ロックバンドを従え、自らもエレキギターで演奏を始めた。それが熱烈なファンから大ブーイングを浴びせられ、いったんステージを降りる。その後アコースティックギター一本で再登場し、過去の音楽との決別を示唆するかの「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」を涙ながらに歌ったという逸話はディランを語る上では重要なポイントである。その後ロックに突き進んでいくのである。
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昨日、ロン・ハワード監督 映画『EIGHT DAYS A WEEK』を見てきました。ビートルズのデビューからの足跡が鮮明に描かれたドキュメンタリー映画である。イギリスでデビュー後立て続けにヒットを飛ばし、アメリカへ進出。その爆発的人気を得て「週に8日間働くようなクレイジーな日々」を最初描いている。アメリカのエドサリバンショウに出演し一気にその人気に火が付き、コンサートを見たい多くのファンに応えるため何万人も収容できるスタジアムでのコンサート。圧巻は当時ニューヨークヤンキースの本拠地「シェアスタジアム」での65,000人集めてのコンサート。観衆の金切声、泣き叫ぶ悲鳴などでほとんど演奏は聞こえなかった。当時は会場にPAシステム(会場に音が適切に届くシステム)などなく、VOX製のアンプの容量を大きくするくらいしかできなかった。映画の中でドラムスのリンゴ・スターは目の前で演奏しているジョン、ポール、ジョージの音さえ聞こえず、「彼らの動きで今ここを演奏していると判断しドラムをたたき続けた」と述べている。
映画で初めて知ったことだが、1964年アメリカ南部を訪れたときのエピソード。彼らは人種差別が行われている会場で演奏することになったのだが、座席を白人と黒人に分けるという方針を拒否し、分けるなら演奏しない。コンサートをすべて拒否すると言い張った。その当時のアメリカは、公共施設はすべて人種によって分けられ、電車の車両も分けられていた。それが当たり前であった。結局プロモーターが折れて席の隔離は撤廃された。映画でそのコンサートに行った黒人の歴史家キティー・オリバーが「私にとって、ビートルズのコンサートは“違う人々といる”という初めての経験だった。でも“違い”なんてたちまち消えると知った」と涙ながらに語っていたシーンは特に印象的だった。
エンディングクレジットが流れた後、おまけで、シェアスタジアムのコンサートが役30分間流れた。今の技術で当時の映像を4K画像に修復し、音も最新技術で雑音等を排除し臨場感あふれる映像に仕上がっていた。そして何より感心したのは、あれだけの最悪の環境下で彼らの演奏テクニックの素晴らしさである。リアルタイムでビートルズを体験した私は当時に思いを巡らし涙が出そうになった。良い映画を見させていただき夢のような140分間であった。
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ザ・ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなっていたという報道から一週間以上経過した。姉のエミさんがすでに亡くなり、ピーナッツは完全に伝説となってしまった。私の青春時代は、ビートルズと「シャボン玉ホリデー」のピーナッツであった。
ピーナッツと言えば代表曲は「恋のバカンス」「恋のフーガ」「ウナセラディ東京」等が定番である。しかしあまりポピュラーではない曲で珠玉の名曲が数多くある。私のお勧めは1位「こっちを向いて」2位「ジューンブライド」3位「青空の笑顔」4位「幸せの花をつもう」5位「愛のかけ橋」というところかな。いずれも宮川泰作曲。宮川泰は俗にいう『和製ポップス』の作曲家では天才だったな。
最近『ユー チューブ』で検索し「えー、懐かしい」と見入る動画がある。一番気に入っているのが1971年に日本テレビで土曜日の夜放映されていた「二丁目三番地」石坂浩二、浅丘ルリ子が主演したドラマである。このドラマがきっかけで二人は結婚する。それはさておき、このドラマの主題歌、「目覚めたときには晴れていた」この曲以前から好きで、自分の20代の頃が鮮明に蘇る。テレビでは『赤い鳥』が歌っていたがレコードにはならなかった。『ユー チューブ』では投稿者がテレビからテープレコーダーで録音しそれが投稿されている。また関連で『朝倉理恵』が歌っていてこれが雰囲気を十二分に表現している。
更に私の気に入っている曲が深夜放送『セイヤング』で流れた「今日も夢見る」『万里村れいとタイムセラーズ』が歌っている。これも胸がきゅんとなる。万里村れい氏は今も現役の歌手でコンサートでこの「今日も夢見る」を歌っているのが投稿されていた。年を重ねても艶のある声である。
こんな青春時代に東京へ行けばプレイバックできるのである。やはり晩年は東京で過ごすのもいいかな。自分には富士見高原の澄んだ空気・景色より都会の雑踏と汚れた空気のほうが死に場所としてはあっているのかな。
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今日6月29日はビートルズが来日した日、しかも50年前。ということでマスコミで盛んに取り上げている。
特に入れ込んでいるのがNHK。先週土曜日には「ビートルズフェスティバル」として3時間の特番を組んだ。今テレビ朝日の「報道ステーション」オープニング、「デイトリッパー」のバックでスタートした。やはり特別の日なんだ。
私は、高校1年生であった。到着が台風の影響で遅れて、29日の明け方羽田についた。JALの法被を着てタラップを降りるシーンはビートルズ来日の象徴的映像である。
3日間5回の公演はそのティケットはライオン油脂のパッケージを同封して抽選で当たれば入手できた。
もちろん私は応募せず、公演はテレビで鑑賞した。今でも覚えているのが、スタンドマイクがしっかり固定していなくて動いてばっかりでポールが手で元に戻すシーンが何回も映し出され、なんでこんなことが事前に対応していなかったのかと、もどかしさを感じた。
そして「イエスタデイ」、ポールが歌いだすと、観衆が「しー・・・」として今までの絶叫が嘘のように静寂に包まれた。これはすごいことだと今でも思っている。日本のファンが本当にビートルズの「音楽」を理解していた証拠である。
半世紀以上経過してもビートルズのファンは増え続けている。リアルタイムで知らない世代である。私の時代はビートルズに熱を上げるのは不良だと言われた時代であった。それでも私はビートルズの偉大さを訴え続けた。あのバカ息子と後ろ指をさされていたが、今になっては懐かしい思い出である。
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ポールマッカートニーの東京ドーム公演に行ってきた。今回の日本公演、ポールの動向がやたらと注目を浴びていたのはご存じのとおり。関空に降りてきたとき法被を着ていた。1966年ビートルズ日本公演で台風による羽田到着が遅れ深夜にタラップを降りてきたとき、メンバー4人がJALのハッピを着ていたことは伝説となっている。それにあやかり今回の法被姿。大相撲九州場所を観戦し、その後懸賞までつけた。それらが大きなニュースとなっていた。
S席(16,500円)であったが、2階席の上から3列目。日本公演が発表され、最初チケットは抽選であった。すぐに申込み当選して手に入れた。しかしほとんど当選したと思う。でも公演間近になりチケットがネットオークションで40万円というようなニュースも流れていた。最初に申し込んだ恩恵か、席は通路の隣。つまり途中での出入りが難なくできる。これはよかった。
オープニングはビートルズナンバー「エイト・デイズ・ア・ウイーク」。いきなりの大盛り上がり。2回のアンコールを含めて全39曲。内ビートルズナンバーは25曲であった。2回目のアンコールの最初「イエスタデイ」では主催者が観客に配ったサイリウム(赤色)を揺らす。ドーム内が赤一色に染まる演出であった。配られた案内には「ポールマッカートニーさん本人には内緒の演出です」と書かれていた。また説明書きで面白い書き込みがあるので紹介する。
①くれぐれも他の楽曲で実行しないようお願いします。
②サイリウムは折ると同時に発光しはじめます。慌てなくてかまいません。2コーラス目の初めくらいで一面に染まるくらいが理想です。
③タイミングのわからない方は周囲の様子を見てからでも十分間に合いますのであせらずにお願いします。
最後はあの名曲「ゴールデン・スランバー」「キャリ・ザット・ウエイ」「ジ・エンド」と畳みかけるような演奏で終了した。
尚、キャロライン・ケネディー駐日大使がプライベートで来ていた。

「イエスタデー」


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プロフィール

加々見保樹

Author:加々見保樹
山梨県との県境、長野県富士見町葛窪の住人
現在富士見町議会議員です。

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