ビートルズの2作目の映画「ヘルプ」がブルーレイディスクで6月末発売となった。以前はDVDで見れたがブルーレイ化は初である。私はDVD以前レーザーディスクで持っていた。ブルーレイということで画像がより鮮明になっているのかと思い購入し再生したがそれほどではなかった。今から46年も前の作品であり仕方ないがワイド画面は納得できた。
私がこのヘルプを初めて見たのは44年前18歳の頃だったと思う。場所は東京虎の門、久保講堂(現在は取り壊され新霞が関ビルとなっている)だったと思う。46年前封切られた頃地方にヘルプが来たか覚えがない。当時「ビートルズシネクラブ」というファンクラブの会員で、その定例会で初めて見た。今と違ってなかなか動くビートルズは見ることができず、会場ではポールやジョンが独特の首を振って歌う(フーー)シーンでは会場からキャーキャーの絶叫であった。
映画と同時に発売となったLP「ヘルプ」はレコードだからA面とB面がありA面は映画のサウンドトラックになっている。ちなみにビートルズの不朽の名作と言われる「イエスタデイ」はB面に収められている。やはり昔のレコードは良かったな。A面が終わりひっくり返す作業が楽しかった。A面のサントラでは「ヘルプ」の他「涙の乗車券」などが代表曲だが、私は「ザ・ナイト・ビフォー」「恋のアドバイス」またジョージ作の「アイ・ニード・ユー」が好きだな。
ビートルズ主演の映画は他に「ハード・デイズ・ナイト」「レット・イット・ビー」「マジカル・ミステリー・ツアー」があるが「ハードデイズナイト」はモノ黒。「レットイットビー」はビートルズ終焉のドキュメントでファンとしてはそれほど見たいとは思わない作品である。「ヘルプ」はキラキラ輝いていた最高の時代の作品であった。
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今朝テレビのニュースでザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなったことを知らされた。たいへんなショックである。中学・高校時代、日曜日夜6:30~日本テレビのシャボン玉ホリデーを見るのが楽しみだった。日本のエンターティナーで彼女たちを超えた者はいまだ現れず、今後もいないであろう。「2ちゃんねる」掲示板で悪く言う書き込みは皆無であった。またこの機会にユー・チューブでピーナッツを見て抜群の歌唱力に驚嘆した等の書き込みが目に付いた。渡辺プロの晋社長が名古屋でスカウトし自宅に住みこませ徹底的な英才教育で渡辺プロの顔となった。また宮川泰氏が音楽の基礎を叩き込んだ。こうしてあの「エドサリバン ショー」にも出演することになる。
1975年突然の引退。以後メディアには一切登場しなかった。恩師宮川泰氏が亡くなり、大勢の歌手が宮川氏の曲を歌うステージがNHKホールで開催された。私も見に行ったが、会場にピーナッツの二人が現れるのではと期待したがどうも来なかったようだ。
彼女の死は確実に私の青春時代の一部が、かけらとなって深くて遠い世界へ落ちて行ってしまった。
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今朝の朝日新聞に、原子力研究機構のホームページに掲載した記事を削除したと載っていた。内容は原子力に関する用語を
『放射線』・・・奥さんの怒鳴り声
『放射能』・・・奥さんの興奮している状態
『放射性物質』・・・怒って興奮している奥さんそのもの
と専門用語をわかりやすく例えて伝えることが目的だったそうです。
しかし、これに「女性蔑視だ」「神経が理解できない」などとツイッターに批判する書き込みが相次ぎ削除したとのこと。
私は、機構担当者のユーモアセンスに最大限の拍手を送りたい。原子力行政が批判の矢面に立つ中、このユーモアは見事としか言いようがない。最近の日本はちょっとしたユーモアに不謹慎だと喚き散らす。またまた、英国を持ち出すが、1964年、ビートルズがロイヤルアルバートホールにて英国王室を招いてコンサートを行った。その時のジョンレノンの挨拶。「安い席の方は拍手を。高い席の方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と言った。イギリスのこのセンス。ユーモアがわからない社会はつまらないな。
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今年は英国が何かと話題に上る。オリンピックが7月にロンドンで開催、エリザベス女王即位60周年、ビートルズ、デビュー50周年。
私は英国が好きである。大英帝国の栄光、007ジェームスボンドの国、クイーンズイングリッシュと言われる上品な英語(私にはわかりません)。とにかく貴族に憧れているのかな。1960年代それまでのポピュラー音楽(ロック)の王座をアメリカから奪い取った。甘ったるいポップス、プレスリーのアメリカをリバプールサウンドが蹴落とした。もちろんビートルズである。もう50年もたってしまったのだ。先週BSプレミアムで5人目のビートルズと言われた「ジョージ・マーチン」の番組を放映した。ポールマッカートニーとリンゴスターがマーチンと回想してビートルズの8年間の歴史を振り返っていた。その中で初めて明かされた衝撃の事実があった。すべてマーチンがプロデュースしてきたが、「レット イット ビー」のプロデュースをジョンレノンが断ったというのである。自分たちの演奏に手を加えないでくれ、という理由から。しかし散々な出来で結局フィルスペクターにプロデュースを依頼する。スペクターはスペクターサウンドという重厚な音楽に仕立てることで有名であり、ジョンが最初に言った単純な演奏のみとは、全くかけ離れたアルバムとなりマーチンは完全に裏切られたと今も思っている。このころビートルズは解散の方向に向かっていてマーチンもそれは分かっていた。そして散々な「レット イット ビー」の悪夢から抜け出し最後にもう一度4人でアルバムを作ろう。とマーチンにプロデュースを依頼したのがラストアルバム「アビーロード」であった。マーチンもこれがラストアルバムになることはわかっていた。
ところで、信濃毎日新聞が「ステップ!青春のページ ロックのツボ」という企画をしていまして、6月1日の紙面では、やはりジョージマーチンのことが載っていた。そのなかで、マーチンが「現存する天才を1人選ぶとすればこの人」と挙げたのがなんとビーチボーイズのブライアンウイルソンなのだから興味深い。という記事。
ほんとうかな?しかもビーチボーイズの「ペット・サウンズ」はロックの歴史に残る名盤とほめたたえている。以前からこれはよく言われているが、正直私にはどこが名盤か今もわからない。個々には良い曲はある。「グッドバイブレーション」「アイ・ゲット・アラウンド」「サーファーガール」等。
久々に聞いてみた。やっぱりわからない。CDのライナーノーツを山下達郎氏が担当しているが、やはり絶賛している。ビートルズの「ラバーソウル」への対抗意識から製作を思い立った。60年代アメリカが生んだもっとも偉大なトータルアルバムである。と書いている。
何回聞いてもトータルアルバムには聞こえません。ビートルズの足元にも及びません
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平成23年も終わろうとしている。TVは相変わらず紅白歌合戦なるものを放映している。夜7:15~11:45までこんなに長い時間やって飽きないのかな。紅白歌合戦はもちろん大晦日の風物詩であるが、昔はよかったぜ。
俺がというか我が家にテレビが来たのは、1961年かな?その頃の紅白歌合戦は夜9:05~11:45だった。子どもは必死に起きていないと見られない年もあった。会場は東京宝塚劇場。「乾杯の歌」にあわせて白組、紅組のプラカードを先頭に出場歌手が客席からステージに行進する。本当にわくわくしたものだ。その時の司会は、紅組:中村メイ子、白組:高橋圭三。翌年1962年から白組はあの宮田輝になった。紅組は森光子。東京オリンピックの2年前。日本が高度成長に突き進む前夜祭。この年の紅白は懐メロファンにはたまらない競演であった。仲曽根美紀「川は流れる」、吉永小百合「さむい朝」、西田さち子「アカシアの雨がやむとき」、松島アキラ「ああ青春に花よ咲け」、北原謙二「若い二人」、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、橋幸夫「いつでも夢を」、三橋美智也「星屑の街」そしてザ・ピーナッツ「ふりむかないで」。どうです、ぞくぞくするでしょう。何を隠そう、俺はザ・ピーナッツの隠れファンである。ちなみに今でもその当時を知らない若者たちがカラオケで歌っている「恋のバカンス」は翌年1963年に歌っている。白組司会は江利チエミであった。ザ・ピーナッツのことはまたいつか書こう。また毎年、南極昭和基地の越冬隊から応援の電報が届いたな。
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プロフィール

加々見保樹

Author:加々見保樹
山梨県との県境、長野県富士見町葛窪の住人
現在富士見町議会議員です。

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