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2011/12/09

ジョンの魂

今日は最終区長会がありました。区長になってやっと放免される時期が来たのかなと感慨無量です。
ところで、忘れていましたが、昨日はジョンレノンの命日だったですね。すっかり忘れていましたというか、毎年ジョンの命日なんて気にしていませんでした。同僚議員、佐久議員から言われてああそうか、という感じです。
命日なんて自分にはあまり特別な日ではありません。特別な日はビートルズが初来日した日、武道館でコンサートをした日です。暗殺された日は昔からのビートルズファンは複雑な心境です。ニューヨークの高級マンション「ダコタハウス」前で熱狂的ファンによって暗殺されるわけですが、あの頃ファンはジョンに対しちょっと冷めていたのかな。その原因はやはり「小野洋子」の存在です。ビートルズファンはほとんどビートルズ解散の原因は「小野洋子」だといまもしつこく思っています。
ラストアルバム(リリース)は「レット・イット・ビー」となっていますが実際は「アビーロード」です。はっきり言って「レット・イット・ビー」は駄作です。ポールマッカートニーが解散は否定できないだろう。ならば、最後に最高傑作を、ということで「アビーロード」が制作されます。今も燦然と輝くロックの最高傑作「サージェントペッパーズロンリーハーツクラブバンド」と並ぶ最高傑作アルバムを制作しました。ちなみに「アビーロード」はポールが主導。「サージェントペッパー」はジョンが主導です。
それだけの力量がありながら解散した、まったく惜しい・残念・ビートルズは20世紀の奇跡であり存続すれば今後どれだけの傑作を世に送り出したのだろう、と考えるとやはりジョンの死はなんだったんだろうかな、と思います。
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昨日、午後あまりにも暑いので家でごろごろしていた。久々にプレスリーのレコードでも聞くかという事になった。やっぱプレスリーはいいな。激しいシャウトなロックよりバラードこそ彼の真骨頂だと私は思う。
実はプレスリーを本格的に聞き始めたのはビートルズより後。1968年にNBCのスペシャル番組に久々に登場し高視聴率を取った番組が日本でも放送されそれを見てからかな。「ハートブレイクホテル」とか「監獄ロック」とか知っていた曲も当然歌ったが、「好きにならずにはいられない」を聞き完全にファンになってしまった。その後映画「エルビス・オン・ステージ」が封切られプレスリーブームがよみがえった。プレスリーはアメリカ、カナダ以外ではコンサートをしていない。コンサートを世界中に配信するため衛星放送でのライブを行い、ハワイでのコンサートを見た覚えがある。
ビートルズが1965年アメリカツアーを行った際、プレスリーの自宅を訪問したことがある。その時仲良く一緒に歌ったりして良い雰囲気だったが、プレスリーが「ビートルズのレコードは全部持っているよ」といったのに対しジョンレノンが「プレスリーのレコードは一枚も持っていない」と返しその場が凍りついたというエピソードがある。ジョンは当時ベトナム戦争に対しプレスリーが支持していたことへの反発ではと言われた。それ以後プレスリーはジョンレノンが嫌いになり、ジョンレノンがニューヨークに住むようになった時ニクソン大統領にアメリカから追放するように要求したなんて話もある。(真相は不明)
数年前小泉純一郎が総理大臣の時訪米した際、プレスリーの記念館へどうしても行きたいといい、それが実現してプレスリーばりのサングラスをかけ「グローリグローリハレルーヤ・・・」とパフォーマンスしブッシュ大統領の失笑を食らった画像がニュースに流れたことを見た方も多いと思います。でもその時小泉がプレスリーの曲で一番好きな曲は「I Want You I Need You I Love You」だとインタビューに答えていたが、確かに私の好きなバラードでよい曲である。改めて聞くといい、いい。日本では超代表曲というわけではないが、この曲が好きという小泉純一郎のセンスには敬服する。
プレスリーは42歳という若さでこの世を去った。1950年代から60年初めの輝いていた良きアメリカの象徴だった。この頃のアメリカが私も好きだ。
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今日、気になったニュースがある。今年も猛暑を予感させるが、「打水・サマータイム導入は何の効果もない」というものだ。最近の夏の風物詩に水を差す、ひねくれ者にはあっぱれなニュースである。
サマータイムは我が国では進駐軍の時代1948年~1951年実施した経過がある。しかし私の親父の話だと、とにかく眠くて参った。サマータイム導入は反対だそうです。
「サマータイム」というと私はジャニスジョプリンをすぐに連想する。・・・無理やり私の趣味にもっていこうとするのが見え見えかな。まあいいや。趣味音楽の話を今日はする。
「サマータイム」という曲はジョージ・ガーシュウインがオペラ「ポギーとベス」のために作曲した曲である。今はミュージカルと言っているが、最初はオペラである。ガーシュウインは「スワニー」などが代表曲でアメリカ音楽を作り上げた作曲家として有名である。
ジャニスジョプリンに話を戻すと、「サマータイム」は彼女の代表曲でもある。この曲が入っている「チープ・スリル」というアルバムはロックあるいはブルースファンにはバイブル(ちょっと大げさ)でもある。特に挿入されている「ボール&チェーン」はライブ録音でホワイトブルース(白人によるブルース)の最高傑作という人もいる。ジャニスは大酒のみで、男が好きで、ブスで(余計なお世話)ドラッグ(麻薬)が好きでそのため若くして死んでしまった。(1970年10月4日没27歳)遺作となったアルバム「パール」は今も燦然と輝くロック&ブルースの傑作だと評価されている。私も異存はない。
ジャニスよ日本ではサマータイムは受け入れられないようだよ。・・・ブスだが魅力あったよな。
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6月29日という日はビートルズファンには特別の日である。
1966年のその日ビートルズがやってきたのである。当初6月28日の予定であったが、台風が接近したため翌日の朝3時44分羽田空港に着陸した。今から45年前私が高校1年生の時であった。
同年3月頃ビートルズ来日が決定されると日本中が大騒ぎになった。演奏会場が武道館でということになったが、当時のオーナー正力松太郎は「ペートルなんとかなんてものに神聖な武道館を貸すわけにいかない」とか、学校では公演を見に行く生徒は退学にするぞとか、とにかく大騒動であった。
チケットは、スポンサーがライオン油脂でありライオン歯磨きのパッケージを送って抽選で当たると購入できた。
7月1日の公演が日本TVで夜放送された。特番になっていて最初羽田に到着したシーンから始まった。日航のハッピを着た4人がタラップから降りタラップの下に用意されたキャデラックに乗り込みそのまま首都高をパトカーに先導され東京ヒルトンへ着いた。入国審査なしというまさに国賓級の扱いだった。そのシーンに「ミスター・ムーンライト」が流れ印象的あったのを今でも鮮明に覚えている。
演奏は「ロック&ロール・ミュージック」のオップニングから最後「アイム・ダウン」までたったの11曲しかもアンコールなし賞味30分あまり、という今では考えられないコンサートであった。当時は家庭用ビデオなんて当然ない時代、高校の同じクラスのやつが、TVの画面を写真に撮って,またオープンリールのテープレコーダーでTVのスピーカーから録音してそれをもらい、しばらく宝物にしていた。
その後1992年にレーザーディスクで東京公演が発売された。それを持っている(自慢)DVDでの発売は今後一切ないと聞いている。レーザーディスクプレーヤーが現在生産されていないので自分のデッキが壊れると永久に見ることができない。但し現在ユー・チューブで見ることができます。
45年経過し、ジョンレノン、ジョージハリスンは亡くなり自分も60歳となってしまった。しかしビートルズ神話は永久に生き続けるだろう。
武道館ライブ レーザーディスク
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プロフィール

加々見保樹

Author:加々見保樹
山梨県との県境、長野県富士見町葛窪の住人
現在富士見町議会議員です。

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